ココロに澄んだ月を。

40代、晩産主婦。幼い頃からメンタル病みつつも、生きてきた歩みと今とこれからの事を綴ります。

今の自分。

小学生時代のことまで振り返ってみた。

 

今現在の私は、専業主婦で7歳の娘ともうすぐ5歳になる息子がいて、夫と4人で暮らしている。

成人するかしないかの年頃から働き始め、働いて行く中で、少しずつ緘黙を克服して来た。

でも、今も緘黙の後遺症はあり、そして20代後半で鬱を病み、不安定な精神状態の時期があり、30代の半ばまで苦しく、悩み、キツイ生活が続いた。

 

それの全てが『場面緘黙症』であったから、と言うわけでは無いが、私の性格や性質の根本に『場面緘黙』があるのだと言える。

鬱は二次障害のようなものか。

 

母親として、足りない。

今でもコミュニケーションが苦手で、特に複数の人数での会話が苦手だ。

黙って、聞いているだけの人になってしまう。

それは子供時代から、成人する頃までのコミュニケーションスキルが圧倒的に足りないので、仕方ないと言えば仕方ないのだが、子供のための付き合いというものがある。

母親同士の付き合い。

幼稚園であったり、小学校。

 

特に幼稚園はある程度、密である。

特定の仲の良いお母さんがいなくとも、クラス単位での『茶話会』やら『公園遊び』というような行事がある。

強制的に参加するような物では無いが、クラスの役員が企画し、声をかける。

親同士の親睦を深めるために、各学期に一度は『茶話会』があり、ランチをする。

その他、参観日などにランチをすることもある。

仲の良いグループで集まっている人たちもいるが、みんなに声をかけて集まるものもある。

 

・・・私は、子供時代から高校生までずっと、グループ行動と言うものをほとんどしたことが無く、女子の集団にいじめられた経験もあり、いい年をした今であっても、このような集まりは苦手である。

それでも、同じ幼稚園の同じクラスの子供を持つお母さん達からの情報などは、子育ての中で参考になることも多い。

出来るだけ参加するようにし、緊張しながらも会話に付いて行き、子供のためにとその場を乗り切るようにしている。

 

全くの『変わり者』・・・

他のお母さん達と関わらないヒトにもなり切れないのだ。

・・・私は別に人間嫌いだったり、人間関係を煩わしいと思っている人間ではない。

親しい友人を得たいと思うし、寂しがり屋だし、人と接していたいと思う。

そうしたくても、自然に、器用に出来ない。

学校や仕事のように所属しているものがあるわけでは無い分、流動的であり、能動的にならなければ孤立してしまう。

私にとっては居辛く・・・

そう、居場所を作ることが出来ないような世界なのだ。

 

母親なら、それ位、難なくこなせよ。。。

自分に自分でダメ出ししてしまう。

あなたいくつよ??

20代とかの若いお母さんじゃあるまいし・・・。

 

みっともない、、、

そう、そう言う、その場にふさわしく振舞えない、そんなみっともない自分を、もうずっと自分自身自覚して来た。

仕事と言う、目的、役割があった頃はこなせていたことも、今のように『お母さん』と言う役割、世界でどう人間関係を広げたり、深めたりしていけばよいのか??

途端に動けなくなる。

、、、情けない、今の自分。

 

そんな日々の中で、私はまた、大きく心身の調子を崩しているのだ。

今、通院し、服薬もしている。

不調に悩まされ、日常生活に支障を来たしている。

 

人生ずっと、トンネルの中にいるような気分。