ココロに澄んだ月を。

40代、晩産主婦。幼い頃からメンタル病みつつも、生きてきた歩みと今とこれからの事を綴ります。

場面緘黙症、小学生の頃、②

3年生、担任の先生が代わった!

 

3年生、担任が男性の若い先生に代わった。

子供にも分かるくらいの『熱血先生』…

まず、自分は絶対に叩かない…と宣言。

(当時、先生が生徒を叩くのは当たり前の事でした)

宿題は基本出さない。

忘れ物やどうしても宿題になってしまう事を生徒が忘れたら、先生を叩けという。

黒板に書いた事を指す為に使っいる竹竿?で先生を叩けという…

これはただ叱られるよりもキツイ…

 

まだ幼い私もこの先生は破天荒だなぁと思い、しかも保育園や学校でも今まで女性の先生だったので…驚きつつも、わくわくしましたね。

 

そして、その後の学校生活を振り返っても、この先生ほど私に関わってくれた先生は居ません。

皆、私を、喋れないから面倒と思いつつも、特に問題行動も起こさず、不登校でも無い、学校には来るし…って感じで、なんのアプローチもし無かった。

 

これが場面緘黙症を拗らせてしまう根源でもあると思う。

 

彼女、彼らは、家では普通に話せていて、家族には何の問題も無いと思わせてしまう。

そして共感能力はあるので、発達障害とも違い、学校にも行くし、目立つ様な問題は起こさない。

発言を求められて、出来無い、

とか…あるけど地味なんです。

じっと出来ないで歩き回るとか、騒ぐとか無いし、基本、先生に従います。

周りに迷惑かけることを嫌うし、かけてしまうと、自己嫌悪に陥ります。

目立つことを嫌います。

学校も頑張って行きます。

先生が、場面緘黙症の子を無視する事も容易に出来ます。

発言を求めるようなことはしない、いない人のように扱う。

…ってか、その方が楽です。

彼らは文句も言いませんからね。

教師は、親に何かしら言われない限りは、無視する事も出来ます。

 

今や、発達障害の子が認知されて、ブームみたいになってますが、そういう子がたくさんいる中で、場面緘黙症みたいに地味な、余り他の子に迷惑をかけず、目立つ事を嫌い、学校で話すことも出来ない自分を親に知られたく無い…なんて言う…地味過ぎる、親も気がつかないような障害、たくさんの子供たちを抱えている学校の先生に、細やかに見て欲しいなんて…無理だなと思う。

(本来は、見てくれないと困る、それが仕事ではある。)

 

親が気がついて、積極的にアプローチしないと…

だけど、保育園、幼稚園、学校の先生が一番分かるはず。

場面緘黙症は家では話すし、普通の子供なの。

外部の人に指摘してもらい、関わってもらわないとずっと分からないままでいる。

 

1年だけ、楽しかった学校!

 

若い男性の先生は、いつもギターを弾いてみんなで歌ったり、3学期になるともう教科は終わったからと、クラスみんなでゲームをしたりした。

 

フルーツバスケットとか、数読みたいなゲーム、色々先生は考えてくれた。

 

私にもアプローチの仕方は嬉しくは無いけど、他の生徒を使って『どうして喋らないの?』と聞かせる様な行為があった。

 

皆が自然に集まって遊ぶ休み時間に入れない私に、アプローチしてくれて、それは嬉しいけど恥ずかしく、泣いた時もある。

 

この先生は、私にずいぶん親切にしてくれるけど、それに答えられない自分に苦しんだ。

 

また、先生は作文や物語、詩を書かせる事を大事にしていて、私の書いた詩や、物語もみんなの前で読んでくれ褒めてくれた。

 

その先生に教わったのは1年間だけだけど、長い学校生活の中で一番、印象に残り、私に関わってくれた先生だと思う。

 

私は保育園を含め、高校まで…専門学校にも担任は居たけど半年も行ってないし…

その中で、この3年生の時の担任の先生が一番熱心で、私も9歳とかだったけど、熱意が伝わり、印象に残っている先生。

 

その後どうしてるかなと思いを馳せます。

 

同僚の先生と結婚したことで他の学校に移動してしまった。

 

今、何才くらいかな。

 

定年してますな…多分?