ココロに澄んだ月を。

40代、晩産主婦。幼い頃からメンタル病みつつも、生きてきた歩みと今とこれからの事を綴ります。

生まれたのは…そして場面緘黙。

私は1970年代、自営業の両親、5歳上の兄のいる家庭に生まれました。
父の両親は私が2歳の頃に相次いで亡くなり、母の実家も遠方と言う事もあり、核家族
周りも同じ様に自営業(商店)の家が多く、似たような年頃の子供達がいました。

私は3歳から保育園に入園。
その頃から『場面緘黙症』と言う子供の不安障害を発症したと思われます。
…家では普通に話せるのですが、保育園では一言も話せない。
それから、近所の大人とも話せず、たまに会う親戚とも話せませんでした。

何かを聞かれ、答えなくてはならない時は、うなずくか首を横に振る。
声を出して伝える事が出来ない。

…これはとても不便な事なのですが、何故だが心も体もそうなってしまう。

家では普通に話すし、近所の幼馴染みとも普通に話す。
でも家に家族以外の人が遊びに来たりすると、途端に話せない。
…そんな自分の不自由さ、特異さに気づく様になったのは多分4、5歳の頃。

保育園での友達関係だったり、大人に意思を伝えられない事で困る事が多々あり、それでもどうにも出来なくて、泣く時ですら声を出せないのだ。

でも、保育園の先生や両親は『人見知り』と見ていたよう。
いや、保育園の先生は『場面緘黙』の子供を見た事も有るだろうから、分かっていても特に指導や両親に指摘する事をしなかったのかもと思います。

まあ、話さないこと以外は、特に問題無く行動し、大人しい手の掛からない子供、ならば敢えて何もしないでおく、と言った感じだったのではと思う。

…ただ、私は保育園時代だけでは無く、その後も集団生活の中でとても苦労したし、今でも対人関係を構築する事に置いては上手く出来ない事も多いのです。

また、その事や色々、書いて行きたいと思います。